2017年07月22日

7月21日は日本三景「松島」・「天橋立」・「宮島」の日、「松島や、ああ、松島や、松島や」

●『日本三景の日』 : 日本三景 松島・天橋立・安芸の宮島

江戸時代の儒学者、林春斎が『日本国事跡考』で絶賛した三つの景観「松島」・「天橋立」・「宮島」を「日本三景」だとして絶賛しています。

いずれも、海に面していて、海と共に松の深い緑の美しい景観です。

この「日本三景」を更に広くPRする為に「日本三景観光連絡協議会」が制定。

日付は、1618(元和4)年の「林鵞峰」の誕生日に因み、また青い海と深い緑が際立つ夏の良い時期でもある事からです。

①松島(まつしま)は、宮城県の松島湾内外にある大小260余りの諸島のこと。または、それら諸島と湾周囲を囲む松島丘陵も含めた修景地区のことである。日本三景の1つに数えられている。2010年の観光入込客数は624万人



◆地形・自然
松島は、仙台平野を南北に分ける松島丘陵の東端が海にまで達し、それが沈水して出来たリアス式海岸がさらに進んだ沈降地形で、溺れ谷に海水が入り込み山頂が島として残った多島海である。全体として松島湾(広義)を形成し、湾内の水深は10メートル以内である。これは、この一帯が過去から大きな地震のたびに地盤が少しずつ沈下してできた地形であることを物語っている。この地域の大部分の地層は第三紀層の凝灰岩、砂岩、礫岩など侵食に非常に脆い岩質で出来ており、特に波に洗われる部分は容易に侵食される。そのため多くの小島は上部に松などが植生し、海面に近い基部は白から灰白色の岩肌を見せている。さらに、海水面近くが波に洗われて鋭角に抉られており、ややキノコに似た形になっているものもある。また、侵食による奇岩や日本三大渓に数えられる嵯峨渓のような海蝕崖も見られる。このように侵食、風化作用を受けやすい地層の上に松島は成り立っているため、長い間に風景も少しずつ変化してきたと考えられ、過去の文献に記載されたものと現在のものとの間には微妙な違いがあると考えられている。五大堂が設置されている島も海水面近くが侵食されており、将来が危ぶまれている。

尚、260余りの島すべてに名前がつけられている。2007年、日本の地質百選に選定された。

◆東日本大震災の影響
2011年3月11日に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)とその直後に襲来した大津波によって、島の文化財の一部が破損するなどの被害が発生したが、周辺の自治体と比較して被害は軽微で済んでいる。その理由として、津波は浅い海に入ると速度が落ちて急激にエネルギーを失うのと、松島湾内に点在する島々が緩衝材となり、津波の勢いを弱めたと見られている。

松島は国の特別名勝に指定されており、管理団体である宮城県によって「特別名勝松島保存管理計画」が策定されている。文化財保護法および前述の保存管理計画に基づき、特別名勝「松島」指定区域内の保護地区において現状変更(建築物の新築等)を行う際には、宮城県教育委員会および文化庁の許可が必要になる。高台での建物新築も現状変更にあたるが、東日本大震災による被害により住民から高台への移転要望が高まったため、宮城県が文化庁に規制緩和を求め協議の結果、その方向で検討されることとなった。今後宮城県と指定範囲の塩竈市、東松島市、松島町、七ヶ浜町、利府町などで協議を進めていく方針。
また文化庁は、松島における「がれき処理施設」の建設も特例で許可することとなった(2014年3月までの限定許可。周囲の景観に対して施設の色・形状を配慮するなどの制約のもと)


松島四大観
松島湾周囲の松島丘陵や島の高台には「松島四大観」(まつしましだいかん)と呼ばれる修景地点が散在している。これらは、江戸時代に仙台藩の儒学者・舟山萬年によって選ばれた「塩松環海四山」に由来する。

壮観:東松島市にある宮戸島の大高森からみる景色。標高105.8m。松島湾の東端から西方向を眺める形となり、奥松島の島々の他、遠く船形山(奥羽山脈)が一望出来る。夕陽で真っ赤に染まった松島の風景写真として度々用いられる。

麗観:松島町の富山にある大仰寺よりみる景色。標高116.8m。南方向に松島湾や奥松島を眺める。
幽観:松島町と利府町の境界部にある扇谷からみる景色。標高55.8m。東南方向に塩竈湾を眺める。
偉観:七ヶ浜町の代ヶ崎の多聞山からみる景色。標高55.6m。北方向に塩竈湾、さらに奥の松島湾、奥松島を眺める。

◆「松島や さて松島や 松島や」 田原坊
松尾芭蕉が『奥の細道』で松島を訪れた際に、あまりに絶景なので句が浮かばず、「松島や ああ松島や 松島や」という句を詠んだという逸話があるが、実際は後世の狂歌師の田原坊の作とされる。ただし、その場で句が思い浮かばなかったのは事実らしい。また別の説では、句は詠んだが景色に釣り合うよいものができなかったともいわれる。なお、小説家の司馬遼太郎は、紀行集『街道をゆく』「仙台・石巻」にて、「松島や ああ松島や 松島や」の句が芭蕉作として松島の看板などの観光資料に記されていることに対し、松島の観光関係者を批判している。


◆指定・選
日本三景(1643年(寛永20年))
宮城県立自然公園松島(1902年(明治35年)9月)
国の文化財(特別名勝)(1952年(昭和27年)11月22日)
新日本旅行地100選(1966年(昭和41年)11月)
国際観光モデル地区(1986年(昭和61年)3月24日)
日本の白砂青松100選(1987年(昭和62年)1月10日)
新日本観光地100選(1987年(昭和62年)3月)
日本の都市公園100選(1989年(平成元年)7月28日)
日本遺産・百選(2002年(平成14年)9月15日)
日本の地質百選(2007年(平成19年)5月)
平成百景(2009年(平成21年)4月)
世界で最も美しい湾クラブ(2013年(平成25年)12月6日)
以上の内、「仙台・松島国際観光モデル地区」は、松島湾に面していない仙台市(政令指定都市移行前の旧市域)、宮城町(現・仙台市青葉区の一部)、秋保町(現・仙台市太白区の一部)、および多賀城市の4市町(当時)も加わる。
「日本遺産・百選」では『仙台・松島』が範囲である。
なお、松島の一部が指定されているものには以下のものがある。
日本の渚百選 『奥松島』(1996年(平成8年))
遊歩百選 『奥松島嵯峨渓』(2002年(平成14年))
美しい日本の歩きたくなるみち500選 『塩釜から松島へ・絶景のみち』(2004年(平成16年)12月27日)

➁天橋立とは
天橋立(あまのはしだて)は、京都府宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる砂州である。日本三景の一つ。2013年の観光入込客数は1,781,900人で、京都市を除いた京都府内の観光地で第1位である。



文化的景観
古代より奇勝・名勝として知られ、一例として平安時代の百人一首の小式部内侍の歌「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立」が詠まれている。今日広く知られている天橋立を松島、宮島と並び称した『日本三景』という語句の文献的初見は、1689年(元禄2年)に刊行された貝原益軒の著書『己巳紀行』において、天橋立について記された箇所とされている。第二次世界大戦後は1952年(昭和27年)11月22日に国の特別名勝に指定、3年後の1955年6月1日に若狭湾国定公園の指定区域となった。現在は2007年8月3日に新設された丹後天橋立大江山国定公園の指定区域となっている。

京都府、宮津市などは「天橋立-日本の文化景観の原点」という名で、文化庁に対し世界遺産暫定一覧表記載資産候補としての提案を行ったものの暫定リストに選ばれなかった。しかし、カテゴリーIa「提案書の基本的主題を基に、作業を進めるべきもの。」 という前向きな評価を受けた。2014年に「宮津天橋立の文化的景観」として重要文化的景観に選定されている。

天橋立の眺望
天橋立の眺めは一般に下記のものが有名である。特に、斜め一文字と飛龍観は著名である。
南側からの眺望 - 飛龍観
斜め一文字:北側の傘松公園からの天橋立の眺め。名前のとおり斜め一文字に見える景観からその名がついた。
飛龍観:文珠山の山頂にある天橋立ビューランドから見る南側からの眺め。龍が天に登る姿に見えることからその名前がついた。
一字観:西側の大内峠一字観公園からの天橋立の眺め。天橋立が横一文字に見える景観からそのように呼ばれている。
雪舟観:東側からの天橋立の眺め。左に掲げた雪舟筆「天橋立図」が描かれたことが由来である。

③宮島とは
★宮島・厳島(いつくしま)は、日本の瀬戸内海西部、広島湾の北西部に位置する島。通称は宮島(みやじま)、また安芸の宮島ともいう。




概要
松島・天橋立とならび、日本三景のひとつとして知られる景勝地である。古代から島そのものが自然崇拝の対象だったとされ、平安時代末期以降は厳島神社の影響力の強さや海上交通の拠点としての重要性からたびたび歴史の表舞台に登場した。江戸時代中期からは、日本屈指の観光地として栄えてきた。現在では人口1800人余りの島に国内外から年間300万人を超える参拝客及び観光客が訪れており、2011年には、トリップアドバイザーが「外国人に人気の日本の観光スポット」トップ20の第1位と発表した。
原爆ドームとならんで広島県の代名詞的存在の一つとなっている。

景勝地としての厳島の中心は、厳島神社である。海上に浮かぶ朱の大鳥居と社殿で知られる厳島神社は、平安時代末期に平清盛が厚く庇護したことで大きく発展した。現在、本殿、幣殿、拝殿、祓殿、廻廊(いずれも国宝)などのほか、主要な建造物はすべて国宝または国の重要文化財に指定されている。
皇族・貴族や武将、商人たちが奉納した美術工芸品・武具類にも貴重なものが多く、中でも清盛が奉納した「平家納経」は、平家の栄華を天下に示すものとして豪華絢爛たる装飾が施されており、日本美術史上特筆すべき作品の一つとされる。厳島神社および弥山(みせん)原始林は、1996年にユネスコの世界遺産に登録されている。海岸の一部が2012年(平成24年)7月3日、ラムサール条約に登録された。

島の最高峰・弥山(535メートル)山頂から望む瀬戸内海の多島美も人気があり、毎年元旦未明には初日の出を目指す人で混み合う。この地を愛した伊藤博文は「日本三景の一の真価は弥山頂上からの眺望に有り」と絶賛し、それがきっかけで明治時代後期に弥山への一般登山路が整備された。1900年(明治33年)に定期航路が開設されると、それまで渡し船に頼っていた交通が改善し、島への参拝客・観光客が急増した。

島の全域(周辺海域を含む)が1934年(昭和9年)に瀬戸内海国立公園に編入され、自然公園法が定める特別保護区域となっている。 1952年(昭和27年)には国の特別史跡及び特別名勝に指定され、弥山の原始林は国の天然記念物に指定されている。
かつて島全体が佐伯郡宮島町と一致していたが、2005年に廿日市市と合併した。

・地理
広島湾の西の端、広島市街の南西約20kmに位置する。島は周囲約30キロメートル、面積30.2km2[9]で楕円形の形状をなしている。対岸の本州(廿日市市阿品~同市大野)に寄り添うように北東から南西に伸びる(島の北東径約9キロメートル、南西径約4キロメートル)。対岸と島を隔てる海峡は「大野瀬戸」と呼ばれ、最も狭い所で300メートルしか離れていない(宮島口港~宮島港間のフェリー航路は1.8キロメートル)。大野瀬戸の反対側(島から南東方向)には絵の島、大奈佐美島、能美島(江田島等と一体)など多くの島が点在する。島の北端・聖崎の先端は風化によりやや崩落して、満潮時に「蓬莱島」という島になる。その沖合に暗礁があり、上には石灯篭が置かれている。

・厳島のシカによる対人被害について
シカの生息数増加に伴い、餌の不足から島内で様々な被害が報告されるようになった。早くも1998年には旧宮島町が「宮島町シカ対策協議会」を設立して、この時点でシカを野生復帰させる方針を決定している。2000年頃の被害としては「植物の樹皮や新芽がシカにかじられる」「雄のシカが樹齢の若い樹で角をとぐために枯死する」といったものが主であったが、やがてシカが観光客の持っている飲食物を狙って観光客がケガをするなどの被害が報じられた。
被害の原因は議論があり確定的ではない。観光客や住民からの苦情をうけて、地元廿日市市は2008年9月に『宮島地域シカ保護管理ガイドライン』(PDF)を策定し、シカを野生状態に戻すために餌やりを禁止するとともに栄養状態の悪いシカを保護・手当てした後に山に帰すなどの管理を実施している。

◆戦後歴史
2016年G7広島外相会合
日本の敗戦と共に、厳島は連合国軍・GHQに接収された。占領後の1954年(昭和29年)には、新婚旅行代わりの日本訪問中のマリリン・モンローとジョー・ディマジオの夫妻が厳島を訪問している。
1950年 - 瀬戸内海国立公園の指定区域に厳島が加えられる。町名を「宮島町」に変更。
1952年 - 厳島神社社殿の「昭和大修理」竣工。
1959年 - 宮島水族館が開館。現在では広島県唯一の水族館である。
1991年 - 台風19号により厳島神社左楽房(国宝の附指定)・能舞台(重要文化財)などが倒壊し、甚大な被害が出る。
1996年 - 厳島神社が世界遺産(文化遺産)に登録される。同時に原爆ドームも登録された。
2004年 - 台風18号により厳島神社左楽房・能舞台・平舞台・高舞台・祓殿・長橋・廻廊などが倒壊・浸水する。近年、海水面の上昇が著しく、ややまとまった雨量程度でも浸水の被害が出ており、地球温暖化との関連を指摘する説もある。
2005年11月3日 - 宮島町は大野町とともに廿日市市に編入される。ちなみに「廿日市市宮島町1-1」は、厳島神社である。

◆風習
厳島は信仰上の理由から、独特の風習を多くもっている。時代とともに薄れたものや行われなくなったものも多いが、今も受け継がれているものもある。中央政権から離れた島の習俗であるために文献として記録されることは少なかったが、戦国時代に陶氏・毛利氏の御師として精神面を支え、大内氏から「社奉行」に任じられた厳島神主家の棚守房顕が記した「棚守房顕覚書」(1580年(天正8年))には、膨大な業務文書を司る立場ならではの生々しい記録が残っていて価値が高い(「棚守房顕覚書」は、説明を付して1975年に宮島町から出版されている)。

・ケガレの忌避
島全体が神域(御神体)とされたため、血や死といったケガレの忌避は顕著であった。
島に死人が出ると、即座に対岸の赤崎の地に渡して葬る(房顕覚書)。赤崎は現在のJR宮島口駅のやや西にあり、遺族は喪が明けるまで島に戻ることができなかった。「~の向こう」と言うと「あの世」を連想するため、「~の前」と言い換えていた。この風習は第二次世界大戦頃までは続いていた。
島には墓地も墓も築いてはならない。現在でも1基もない。

島の女性に出産が近づくと、対岸に渡って出産後、100日を経て島に戻るしきたりであった。「婦人、児を産まば、即時に、子母とも舟に乗せて、地の方に渡す。血忌、百日終わりて後、島に帰る。血の忌まれ甚だしき故なり。」(房顕覚書) 厳島神社の外宮を地御前神社(廿日市市地御前)というように、「地の方」とは対岸の本州を指す。
女性は生理の時期には、町衆が設けた小屋に隔離されて過ごした。「『あせ山』とて東町・西町の上の山にあり。各々茅屋数戸を設けたり。「あせ山」は血山なるべし。島内婦人月経の時、その間己が家を出て此処に避け居たりし。」(房顕覚書)

・耕作・機織りの禁止
鉄の農具を土に立てることを忌み、耕作は禁じられた。また、「女神の御神体内」であることから、古来より女性の仕事の象徴とされた機織りや布さらしも禁忌とされていた(山の神を参照)。「絶えて五穀を作らず、布織り布さらす事を禁ず」(房顕覚書)。
特に耕作が禁じられていることはよく知られ、島に生活する人のために対岸から行商人が船を出す光景は第二次世界大戦後まで続いた。廿日市(二十日の市)は鎌倉時代、厳島のために立った市場から発展した町である。

・シカ・サルとの共生
厳島のシカは太古から生息していたと見られるが、歴史時代に入ると奈良の春日大社にある神鹿(しんろく)思想の影響も受けつつ、神の使いとして大切に扱われた。シカが家に入らないように「鹿戸」を立て、家々で出た残飯は「鹿桶」に入れて与えた。房顕覚書によると、シカを害するのを避けるため、島内では犬を飼わず、外から犬が入り込むと島民が捕まえて対岸に放したという。
サルが家に入り込んで食べ物を盗っていっても、捕まえて罰することはなかった。

・潮汲み
町の商家や民家では、鳥居のある浜で海水を汲み、門前を清める「潮汲み」という習慣がある。元旦に行うものを「新潮迎(わかしおむかえ)」という。戦後は数人が行うのみにまで減っていたが近年見直され、行う家や店が増えつつある。

・文化・施設・観光
毎年8月11日には宮島水中花火大会が行われ、県内外から多くの見物客が訪れる。
島内には厳島神社以外にも大聖院をはじめ多くの仏閣がある。また、厳島神社宝物館、宮島水族館、宮島歴史民俗資料館、広島大学大学院理学研究科附属自然植物実験所、宮島町伝統産業会館などの文化施設がある。
国内外から観光客が多く訪れ、その数は年間300万人台(2009年の船舶運輸実績(片道)は約346万人)。宮島桟橋から厳島神社へと続く道沿いには多くの旅館が点在している。






★林春斎とは
林 鵞峰=春斎(はやし がほう、元和4年5月29日(1618年7月21日) - 延宝8年5月5日(1680年6月1日))は、江戸時代前期の儒者。林羅山の三男。名は又三郎・春勝・恕。字は子和・之道。号は春斎・鵞峰・向陽軒など。

人物・略歴
京都出身。那波活所(なわかっしょ)に師事し、その後父羅山同様江戸に赴き江戸幕府に仕えた。父羅山の死去後の明暦3年(1657年)林家を継ぎ、幕政に参与した。寛文3年(1663年)、4代将軍徳川家綱に五経を講義して弘文院学士号を与えられ、訴訟関係・幕府外交の機密にあずかった。

日本史に通じ、父羅山とともに『日本王代一覧』、『本朝通鑑』(『本朝編年録』)、『寛永諸家系図伝』など、幕府の初期における編纂事業を主導し、近世の歴史学に大きな影響を与えた。鵞峰が整えた林家学塾の組織は、その後の昌平坂学問所の基礎となった。

多方面な関心をいだいて博学広才ぶりを発揮した父羅山にくらべ、鵞峯は、『本朝通鑑』や『日本王代一覧』などにおいて「日本」の国柄がどのようなものであったかを追究し、幕府政治の正統性や妥当性がどうあればいいかについて、その支配イデオロギー形成の端緒を開いたとも評される。

寛永20年(1643年)の著書『日本国事跡考』のなかで「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島爲三處奇觀」(松島、この島の外に小島若干あり、ほとんど盆池月波の景の如し、境致の佳なる、丹後天橋立・安芸厳島と三処の奇観となす)と記し、これが現在の「日本三景」の由来となった。2006年(平成16年)、林鵞峰の誕生日にちなみ、7月21日が「日本三景の日」と制定された。





posted by Mr.cool at 07:40| Comment(0) | 風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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